【セックスと宗教】アダムやイザナギはどんなエッチをしてた?

公開日:2022/03/02
更新日:2022/03/03

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      突然ですが、みなさんは宗教とセックスの関係について、どう思いますか?

      宗教を深く信じる人ほど禁欲的で、セックスを我慢していると思いませんか?

      実はそうとも限らないんだそうです。

      アメリカの家族心理学研究誌に掲載された研究によると、宗教心の強さがセックスの満足度を高めるケースもあるというのです。

      そもそも、キリスト教の挿話を題材にしたミルトンの小説『失楽園』や、日本の「国生み」神話など、宗教の中にもセックスを肯定的にとらえる考え方も昔からあります。

      そこでこの記事では宗教心とセックス満足度の意外な研究結果をご紹介し、『失楽園』と「国生み」神話のこれまた意外なセックス描写もご紹介して、宗教とセックスの関係について考えてみたいと思います。

      参照記事:

      https://www.psypost.org/2022/01/sanctification-of-sex-linked-to-heightened-sexual-satisfaction-among-religious-couples-study-finds-62312

      トロント大学の大学院生ネーサン・レオンハルト氏らの研究グループは1,695人の性的にアクティブな人たちと481組のカップルに対するサーベイ調査を行いました。

      目的は宗教心とセックスの満足度の関係を明らかにすることです。

      その結果、真剣に交際しているカップルの間では、宗教的信仰心が強いとセックスの満足度が低くなる傾向が分かりました。

      しかしこれには例外があり、宗教心が強い人でもパートナーとの性的関係が神聖なものだと考える人は、セックスの満足度が高くなる傾向が見られるそうです。

      レオンハルト氏によると、宗教と性的関係の間には、さまざまなストーリーが可能だそうです。

      宗教によって性的関係をポジティブにとらえない人の中にも、色々な考えがあります。

      セックスを、人間が生まれながらに負っている原罪と結び付ける人もいれば、克服すべき障害と考える人、ふさぐべき傷口と考える人、あるいは人体に自然に備わる邪悪と考える人などがいるそうです。

      逆に、宗教的理由からセックスをポジティブに考える人も様々です。

      性的なものを神聖だと考えたり、神とともに創造者となることだと考えたりする人もいるそうです。

      セックスがカップルのきずなや喜びの経験を生み出したり、お互いへの信頼を高めたりするために、神によってデザインされた、という考え方もあります。

      この研究の結果、宗教はこのようにセックスに対して多様な考え方を生み出し、性的関係にとってポジティブにもネガティブにも影響することが分かりました。 

      セックスの満足度が高い回答者は、

      「パートナーとの性的なつながりは私にとって神聖なものだ」

      「私たちの性的関係は私たち自身より偉大な何かにつながっている」

      などの設問に同意していたそうです。 

      興味深いことに、宗教的な男性は女性パートナーを性的に神聖視する傾向があるが、宗教的な女性には男性パートナーを性的に神聖視する傾向はなかったことも分かったそうです。

      セックスを神聖視する男性によって、カップルの性的な神聖化が促されるようです。

      研究者たちは宗教性が性欲を否定してセックスの満足度を引き下げると予想していましたが、実際はそうではありませんでした。

       

      これは宗教に関わりの深い古典にも見られることです。

      17世紀イギリスの詩人ミルトンの小説『失楽園』は、旧約聖書のアダムとイブの楽園からの追放の物語を題材としていますが、セックスを礼賛するような描写が見られます。

      ミルトンによると、禁断の実を食べて堕落する前のアダムとイブは、邪悪な羞恥心がなかったので、「あのミステリアスな部分」を隠すこともなかったそうです。

      つまり、まる出しのスッポンポン。

      二人は神や天使に見られることを気にせず、全裸で手を取り合って歩きます。

      アダムが抱き寄せるとイブは寄り添います。

      豊かな乳房がアダムの胸に触れ、アダムはイブに「清らかな接吻」を繰り返します。

      その光景を悪魔サタンがのぞいていてつぶやきます。

      「憎たらしく、悩ましい眺めだ……幸福な夫婦よ、楽しむがよい。しかし悦楽の時は短い。長い苦しみが後に続くのだから」

      サタンにのぞかれているとはつゆ知らず、アダムとイブは一日の仕事を終えて祈りを捧げた後、あずまやの中で二人横たわって「ミステリアスな夫婦愛の儀式」を行います。

      そしてミルトンは「結婚愛に、ミステリアスな法則に、子孫繁栄の真の根源に栄光あれ」と賛美するのです。 

      17世紀にアダムとイブの「濡れ場」を書き、それを賛美するのはなかなかのチャレンジャーではないでしょうか。

      しかし、日本の『古事記』も負けてはいません。

      「国生み」神話では、イザナギとイザナミの二神がトンデモないやり取りをします。 

      イザナギがイザナミに向かって「あなたの体はどうなっている?」と聞くと、イザナミは「私は大人の体になって、足りない部分ができました」と答えてしまいます。 

      「足りない部分」とは、女性だけにあるアソコのことです!

      しかしこれを聞いたイザナギも負けずおとらずトンデモないことを言い出します。

      「私は大人の体になって、余った部分がある」

      「余った部分」はもちろん男性のアレです。 

      そして、イザナギは提案します。

      「そういうことだから、私の体の余った部分をあなたの体の足りない部分にさしふさいで国を作ろうと思う」

      世界有数のトンデモプロポーズではないでしょうか。

      しかし、イザナミは動じません。

      「それがいいでしょう」

      とあっさりプロポーズを受け入れてしまいます。

      これが記念すべき日本最初のプロポーズです。

      こうして結婚したイザナギとイザナミは、次々と日本の島々を産み、さらに神々を産みます。

      現代人の感覚ではあまりに露骨で話題にしにくいですが、「国生み」神話も『失楽園』のアダムとイブと同じで、セックスが国土と神々の創造の手段として大事なものと考えられているようです。 

      宗教は必ずしも禁欲的ではなく、セックスをポジティブに受け止めるきっかけにもなりうるのですね。

      以上、宗教とセックスの複雑な関係のお話でした。

       

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